諏訪原城

諏訪原城

(出展:「戦国武田の城」 城郭から見た武田三代史 中田正光 著)

武田流築城の見本 5つの馬出しによって防御

諏訪原城が武田氏によって築かれたとき、他の諸城と共に大井川流域を確保しようとした。
「武徳編年集成」には、金谷台地に諏訪原など五砦を構えたとあるが、いかに大井川を重視したかが知られる。
初代城主として馬場美濃守信房が居城したといわれる。武田氏流築城に信房が深く関係していたようである。

諏訪原城は大井川までは2.5Kあり、大井川に流れ込む大代川までは1.5k。
この川の西側には牧野原台地が広がり、その台縁上に築かれている。
このように台地の端を利用していることから、三方は比較的要害性に恵まれているが、
地続きとなる西側をいかに処理したらよいか問題となる。
つまり武田信玄が初めてこの城を築かせたとき、西方の徳川氏に対して危険な地形にあったというわけである。
にもかかわらず、敢えてこの地に築いたということは、築城技術的なことで解消できると判断したからであろう。
この城の基本的な考え方は、台地の出張ったところを利用し、それを二本の大堀によって分断する、

大堀

そして外側に向けて馬出しをいくつも配することによって場内に入れさせないという考え方である。

大堀 大堀

このように地形上一番端に築くのが一つの特徴になっており、武田氏は好んで多用している傾向がある。

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