(場所) 諏訪市
諏訪には高島城という名の城は二つある。一つは近世城郭としての高島城であるが、
もう一つはそれ以前、諏訪が武田氏や織田氏の統治下にあった時の拠点としての「旧」高嶋城である。
天文十一年(1542)、諏訪頼重が武田晴信に攻められて滅亡すると、
諏訪は武田氏の支配地となるが、同十八年、武田氏は諏訪湖に近い高島城を築き、
岡村に代官所を設けてその拠点を上原城(茅野市)から移した。
この城が旧高嶋城であり、その場所は岡村に隣接する丘である茶臼山だとされている。
以後、政治の拠点としてはこの旧高嶋城と岡村の代官所がその役割を担う事になった。
しかし天正十年(1582年)に武田勝頼が織田信長に滅ぼされると、
諏訪は武田攻略に功のあった信長の家臣川尻秀隆に与えられ、
川尻は配下の弓削重蔵を旧高嶋城に置いて統治にあたらせた。
ところが同年、織田信長も本能寺の変で倒れてしまう。
武田氏に滅ぼされた諏訪氏は、頼重の叔父満隣の家系が辛うじて命脈を繋ぎ、
諏訪氏の家臣団も武田家臣に組み込まれるなどして残っていた。
本能寺の変を知った諏訪氏の古くからの重臣千野氏はこれを好機とみて、
ほかの旧臣とともに蜂起、弓削のいる旧高嶋城に迫ってこれを奪取することに成功する。
そして満隣の子で諏訪大社上社大祝であった諏訪頼忠を迎えて、
ここに諏訪氏とその諏訪支配が復活するのである。